浅利ストーリー

浅利ストーリー

1993年4月22日生まれ

父、母、姉(8歳差)、兄(6歳差)

バリバリの末っ子として育ちました(笑)

姉は自閉症という障害があり、日常生活では会話等ありましたが兄と一緒にいることが多く、男兄弟の中で育ったそうなものですね。

小学生の時はとにかく障害を持った人を馬鹿にしたり、茶化したりする同級生が嫌いだった記憶があります。

そんな正義感溢れた子供時代だったということにしておきましょう(笑)

僕の人生を一言でまとめると高校生の時までひたすらサッカーに打ち込んでいたということでしょう。

小学生から始めたサッカー。

幼少期は毎週兄のサッカーについて行く日々。

サッカーを始めるのは必然だったかもしれません。

しかし、始めたのは小学校2年生から。

僕、極度の恥ずかしがり屋だったんです(笑)

初めましての挨拶が恥ずかしくて、一年間入るのを見送りました。

今思えばなぜだ、、、となります。

入団したのは一本松SC(バリバリ地元(笑))

小学校4年生、6年生の最高学年ではキャプテンを任されていました。

とにかくサッカーが好きでボールを追いかけた日々。

一番楽しかった時かもしれません。

僕の人生のターニングポイントと言っても過言ではない中学校生活の話をさせていただきます。

小学校卒業後の進路。

僕が通う予定であった岡野中学校はサッカー部がなく、周りにサッカーをやっている友達もいませんでした。

それなりにやっていたので、正直自分が一番上手いくらいに思っていました(笑)

卒業間際、腕を骨折してしまいセレクション(入団テスト)を受けに行くことがなかなか出来なかったこともあり、チームが決まりませんでした。

そんな時に出会ったのが僕が通うことになるBANFF横浜ベイというチーム。

当日の朝、友人のお母さんからセレクションに行くけど一緒にどう?と声を掛けてもらい、受験することに。

当日受験して思ったこと。

「周りめちゃくちゃ上手いやつばかりじゃん!?」

絶望しました。

周りは同学年。試験のリフティング。

自分が一番出来ていないんじゃ、、、

と、思うほど差がありました。

結果、入団試験をクリアしましたが、そこから苦しいサッカー人生のスタートでした(笑)

上手いやつらに囲まれる中、3年間続けることができました。

40人近く入団した仲間たち。結果残ったのは12人。

意気投合した仲間達は受験や様々な理由で徐々に退団していきました。

中学校3年生の夏、僕に最大の試練が待ち受けていました。

周りが進路を決めて行く中、サッカーに行き詰まりなかなか進路活動が出来ない自分がいました。

サッカーを続けるのか、否か。

残った12人は名門校の推薦を貰ったとの報告が続々。

自分にも焦りがありました。

そんな時一度チームを辞めようとしました。

当日コーチに話に行くため、親と一緒に行くとコーチから言われた一言。

「お前はそれでいいのか?好きなサッカーを辞めてもいいのか?」

僕は涙が溢れてきました。

根本的な事を忘れていたなと。

サッカーが好きなんだって。

「辞めたくありません」

次の一言目はそれが出ていました。

このような事を経て、3年間クラブチームで続けることが出来ました。

今自分が一番大切だと思う事は”続ける事”

嫌なこととか、人生絶対あると思うんですよね。

今思えばそこでサッカーを辞めていたら今でも辞め癖がついてコロコロ逃げ回る人生だったかもしれません。

正直、サッカーは楽しくありませんでした(笑)

でも、自分の中で色濃く残っている成長出来た事なんじゃないかなと思います。

そして高校生生活に移っていきますが、高校3年間サッカー部として続け、3年時には副部長を勤めました。

決して強豪という訳ではありませんが、いまでもサッカーを一緒にしたりかけがえのない仲間達です☆

顧問に「副部長辞めちまえ!」と言われたこともありましたが、高校サッカー時代は割愛させていただきます(笑)

さて、ここからが僕が美容師人生をスタートさせたキッカケの話。

部活引退に向けて頑張っている頃、並行して進路に向けた活動もしていました。

僕の選択肢は2択

・美容学校に行く

・スポーツの専門学校に行く

この2つで揺れておりました。

美容師に興味を持ち始めたのは中学生の時。

元々自分の髪をコロコロ変えるのが好きで美容師という選択を含めたのもそれが理由かもしれません。

(今思えば長さが足りないのにこれにしたいと写真を持って行って担当の美容師さんを困らせていました(笑))

では、なぜ美容師を選んだのか、、、

“直感”です(笑)

引退試合。

試合に負けた時、僕は充実感に満ち溢れていました。

これでサッカーは終わりか、、、

自然と前を向く自分がいたのかもしれません。

専門学校でのサッカーも選択肢に含めていましたが、

“新しいチャレンジをしたい”

その想いが強く、強くあった事を今でも覚えています。

そして専門学校に入学。

学生時代は専門学生しながら美容室でバイトをしていました。

(なかなか真面目でしょ?(笑))

そしてバイト先の美容室に入社。

入社と同時期、我が尊敬するオーナー川端に出会いました。

そのサロンでは一緒に働いたのは1年少々だったみたいですが、僕にとっては衝撃の出会いですね。

オーナー川端は僕にとっての一番最初のメインで面倒を見てくれる先輩でした。

つきっきりで練習を見てくれるんですが、とにかく厳しい(笑)

都内で培った技術を全力で指導してくれたのを今でも覚えています。

「お前が100%で来るなら俺も100%ぶつかってやる。その代わりお前が中途半端なら俺もそれしかお前に教えない」

ちょっと言い回しは違うかもしれませんが、最初に言われた一言今でも忘れません。

当時20歳の僕、25歳のオーナー。

 

 

(お互い若かった(笑))

これだけ熱い想いを僕にぶつけてくれたからからこそ、僕がついて行ったのだと思います。

共に過ごした1年弱。

オーナーが辞めてから5年程期間が空きました(ちょくちょく相談したり、カットしてもらった日はありました)が、BEPOに誘ってくれた時は嬉しかった。

オーナーが辞めた時、僕もついて行こうと辞めようとした時期もありました。

止めてくれたのもオーナー。

その時からBEPOに入社するのは決まっていたのかもしれません。

美容師を続けて行くという上で、新しい環境。

覚悟しかありません。

BEPOをさらに良くしたい。

出会えたお客様と楽しい時間を共有したい。

僕らはそんな想いでサロンワークをしています!

長くはなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。

僕らという人間を知っていただいてBEPOというお店を好きになってもらえたら嬉しいです♪

END